今回の写真は上呉服町の道での一枚。
山笠の山に目を奪われがちですが、その背景にちょっと注目。
現在はマンションとなっている場所に実に和風な雰囲気を醸し出している大きな建物が見えます。
この建物は、その昔、呉服町の賑わいの中心地だった「大博劇場」なのです。
大博劇場は、1920年(大正9年)12月にオープン。
その当時「九州最大の劇場」と言われたほどの劇場で、戦後は歌舞伎や商業演劇、宝塚演劇などの興行が行われていました。
どんたくなどから分かるように、元々博多の人は芸能・芸事が大好き。
その歴史を紐解いてみると、幕末には常設の芝居小屋が上川端に、大乗寺の境内(上川端町)に宝玉舎という芝居小屋が建てられ、明治に入ると次々と博多の各所に小屋が建てられた事が記録に残っています。呉服町と御供所町の境目辺りにあった
大芝居小屋「教楽社」が出来たのもこの頃。
そんな芸能文化が隆盛を誇る博多に登場したのが、この「大博劇場」だったのです。
記録によると『先進的なゼツェッション様式(ウィーンで広まった過去の様式からの離脱をはかった当時の芸術流派)の5階建て。総坪数1400余坪、本館間口18間、建坪420余坪で、収容人員は200余名』と、まさに当時「九州最大」の劇場だったそうです。劇場のこけら落としには中村扇雀(後の鴈治郎)らを迎え、その後も東京、関西の大物役者、舞台を次々に招聘して大変賑わったという記録が残っています。
しかも、この大博劇場は、1922年(大正11年)に来日した相対性理論で有名なアルベルト・アインシュタイン博士の講演会場としても使用されました。それだけ博多を代表する劇場だったのです。
しかし、時は流れて昭和中期。大衆文化は「演劇」から「テレビ」に移ります。
テレビ普及により演劇興業が衰退。しかも博多駅が1963年に現在の場所(旧博多駅は祇園町駅の辺り)に移動したためお客の流れが変わってしまい動員数が激減。そのため大博劇場は1960年代半ばには映画館に転向します。
映画館に転向するもその流れは変わらず、1972年(昭和47年)ついに閉館・取り壊しとなってしまいました。
現在この場所に九州最大の劇場があった事をしのぶような遺構はありません。
しかし、「ここに大きな劇場があった」事が分かる興味深い事を私達は地図から見つける事が出来ます。
当サイト「御供所.info」が作成した「
御供所グルメマップ」を見てみると、上呉服町に大変お食事が出来るお店が大変固まっているのが分かります。これは大博劇場があった場所と一致しています。大博劇場に遊びに来たお客が、舞台が始まる前や舞台を見終わった後、舞台の話に花を咲かせながら食事をした事をしたお店が集まっていた証拠でもあります。老舗の食堂が多いのもとても特徴ですね。
大博劇場と共に博多の歴史を歩んできた上呉服町の町並み。
こうやってみると大変興味深く、大変味わい深いものがあります。
撮影場所のご案内
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住所:福岡県福岡市博多区上呉服町11丁目付近 [地図]