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昭和初期の御供所へタイムスリップ!

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御供所語り

綱場町辺りの昭和通り

  • 2011年04月10日
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今週の一枚は、時は「50メートル道路」と呼ばれていた、現在の昭和通りでの「集団山見せ」の模様です。

今回の写真は大変場所の確定に手間取りました。
ヒントはたくさんあったのですが、何しろ小さかったり見切れたりしているので条件を満たす場所を見つけるのが難航したのです。

まず「山笠」と「路面」。
山笠が走る道で、路面電車が通っていた当時の福岡の事情を考えると、線路がない広い道で集団山見せが行われていた「昭和通り」です。ここまでは簡単でした。

問題はここから。
右に見える「山~」と見切れている看板と、左手奥の小さな文字の看板。これだけの情報で場所を探す事になりました。

まず左手奥の文字を調査。パソコンの写真編集ソフトで解析してみた結果「明治生命」と書かれているのが判明。
「明治生命」が入ってるビルは、昭和36年当時の地図で調べてみると、中州5丁目・中洲中島町にありました。現在もこの場所に明治生命ビルが存在しています。昭和通り沿いには他には「明治生命」は存在してないので、博多部から福岡部を臨んだ場所となります。

そして右側です。「山」だけで見切れた看板だけじゃ確定しようがありません。
しかし、その「山~」の看板の後ろに小さい文字で看板が・・・山笠の飾りで隠れている箇所がありますが、これを拡大してみると「日本●」「支店」と読めます。
昭和36年の地図で昭和通り沿いで「日本」と付いたビルや会社を探してみると・・・ありました! 現在の住所で言うと「奈良屋町3丁目」に、昭和36年には「日本新薬」のビルがあったのです。

およその状況証拠を固めたところで、問題の「山」の看板。この「山」のビルがはっきりと分かれば完全確定です。
古地図を調べてみると、当時建っていたビルの名前は「竹之内製薬 第二蔵本ビル」。「山」と関係ないビル名でした。しかし、こちらに入っていたテナントさんを調べてみると・・・ありました!「山之内製薬」! そう、あの「山之内製薬」がこの場所にあったのです!(※現在山之内製薬さんは藤沢薬品さんと合併し「アステラス製薬」と名前を変えております)このロゴも「山之内製薬の歴史」に掲載されている昔の商品を見ると同じ物が確認できました。

という事で、場所がついに確定できた・・・というワケです。
まあ、これが確定できた後に、写真をよく見てみると「日本新薬」の看板の横に小さく「山之」という看板を発見。ヒントあったんじゃないか!と脱力してしまいましたが(笑)

それにしても、地図を見てみると、当時この昭和通りは薬品や生命保険関係の会社が集中していたようです。
以前の写真でも出てきた武田薬品、今回の日本新薬、山之内製薬、竹之内製薬、明治生命。その他にも住友生命、日本香料薬品、藤沢薬品、安田薬品、昭和薬品、太田製薬などなど・・・。このためか、裏道には外科や内科の医院も散らばっています。
博多は商人町で問屋街でもあった事を考えると、薬品や生命保険関連の会社がこの通りに集まっていたこの歴史は面白く感じますね。

ちなみに、山笠に注目してみますと、水法被の背中に描かれている「祇園」の二文字。
これは私の推測ですが現在祇園町駅がある祇園町がある旧・岡流の人達ではないかと推測されます。
記録によると、昭和39年と40年は「走る飾り山」が集団山見せにも登場。その際、上川端流に旧岡流の有志も加わり、合同で山笠行事に参加したとありますので、その模様ではないでしょうか。

撮影場所のご案内


大きな地図で見る

住所:昭和通り(綱場町付近) [地図]

  • 2011年04月10日
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コメント(2

ハム 2012年7月27日 16:56

表題からすると、昭和42年ですね。
集団山見せには前年の41年からの参加です。
この年の上川端通は独自に舁山も持っていました。

ハム 2012年7月27日 17:22

表題からして昭和42年ですね。
この年のみ八番山笠に祇園町からの参加があったようです。
またこの年に限り上川端通はかき山も存在しています。

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